代償があってこそ、栄光が勝ち取れる

2020.7.22|ウインロード通信

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目標を達成するためには、犠牲にしなければならないものもある。その代償があってこそ、栄光が勝ち取れる。(ジーコ:日本代表元監督)

自分が現在の位置から、より高みを目指す場合やハイレベルな世界に挑戦しようとすればするほど、そういった考え方になってくると思います。「犠牲にする」という言葉を見て、「何言ってんの?」と思っているならば、まだそういった勝負どころに到達していないと考えていいと思います。

「何でもできる」のはすごいと思いますが、全てをハイレベルに持っていくことができるのは、ごくわずかな人だけの領域です。

例えば「勉強と部活の両立」です。両立と言っても人によってラインが違います。勉強も部活もただ単にやっていることを両立と考えている子や保護者の方にも出会ったことがあります。

私の中で、両立とは「共にハイレベルな結果を出せている状態であること」だと考えています。

私は中学生の頃、水泳部に所属していましたが、部活動に打ち込みすぎて学業をかなり疎かにしていました。小学生の頃から水泳を続けていたので、ずっとやっていきたいと思っていたのですが・・・・学業の成績がみるみる下がり、「これは部活動どころではない」と思うようになりました。

中学校2年生になった年、部活動を一旦辞めて学業に専念することを決めました。勉強嫌いだった私には、相当重い決断でした。

これまで机に向かったことがない私でしたが、我慢して勉強しましたね。学校から帰るときに、部活動に行く仲間の姿を見て羨ましく思っていました。

そんな日々を送り、成績を向上させることに成功しましたが、成し遂げるには部活動をやっていては不可能だったと断言できます。

あの時、水泳を続ける決断をしていたら、もっと上達していたかもしれません。 でも、その期間水泳をしなかった(中2の途中で復帰しました)ことを後悔はしていません。

 

きっと、公立高校入試で志望校に合格していなかった

きっと、大学進学なんて夢のまた夢だった

きっと、今の自分はいなかった

 

そう思えるからです。

その時に「目標を達成するためにはどう行動すればいいのか?」を初めて学びました。やりたいことをやるために、やりたいことを我慢して(犠牲を払って)真剣に打ち込まなければいけない時期があるということを。

両親から何度も言われたとしても、理解できるものではないでしょう。自分で歩み、学ぶことではじめて身につくものだと思います。

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