日本人初のNBA選手 田臥勇太の言葉

2013.9.15|江本のつぶやき

何回も能代弁で叱られ、何回も英語でも怒鳴られ、

そのうちの何回かは理解できなかったけれど、

何回も小さいから無理だと言われ、

何回も大男が落ちてきて怪我をし、

何日も眠れない夜を過ごし、

何回も人の言う事に耳をふさぎ、

何回も逃げ出そうと思った。

 

 

けれど、

 

何万回もパスをし、何万キロもドリブルして、

何万回も相手をフェイクし、何万回も速攻を出し、

何万本もシュートを打って、何十足もバッシュを履きつぶし、

 

僕はアメリカのコートに立った。

 

でも、僕の旅は終わりじゃない。

 

これは始まり。

                  ( 日本人初のNBAプレーヤー:田臥勇太 )

 

 

 

日本人初のNBA選手となった田臥勇太選手がNIKEのCMで語っていた言葉だ。

 

田臥勇太選手は秋田県の能代工業高校出身。バスケットをしている高校生達なら誰でも知っている超強豪校である。

 

彼は高校1年生の時からレギュラーの座を獲得。

田臥選手が入学してから能代工業は無敗。

 

インターハイ・国体・選抜大会を3年連続で完全制覇。

驚きの高校9冠を達成!!前代未聞の偉業を達成した。

 

さらに、日本男子バスケットボール史上初となる高校生での日本代表入り。

 

かつて、これほどの大記録を打ち立てた日本人選手はいない。

 

誰もが認める日本最高のバスケット選手だ。

 

 

そんな彼が、いよいよ世界最高峰のプロバスケットリーグ・NBAに挑戦するという。

 

しかし、彼の意思はまわりからけなされ「絶対に無理だ」と言われた。

NBAに挑戦するにはあまりにも身長が低く、体格にも恵まれていない。

無謀な挑戦であると。

 

しかし、2004年 11月3日

 

彼のNBAデビューの日がやってきた。

 

NBA開幕戦の第4クオーター、残り10分で選手交代が告げられる。

ベンチからコートに入って来たのは・・・あの田臥勇太だった。

 

日本人が初めて、NBAのコートに立った。

 

ここまでの道のりは想像を絶する苦しさだったに違いない

 

 

何回も能代弁で叱られ、何回も英語でも怒鳴られ、

そのうちの何回かは理解できなかったけれど、

何回も小さいから無理だと言われ、

何回も大男が落ちてきて怪我をし、

何日も眠れない夜を過ごし、

何回も人の言う事に耳をふさぎ、

何回も逃げ出そうと思った。

 

けれど、

 

何万回もパスをし、何万キロもドリブルして、

何万回も相手をフェイクし、何万回も速攻を出し、

何万本もシュートを打って、何十足もバッシュを履きつぶし、

 

僕はアメリカのコートに立った。

 

でも、僕の旅は終わりじゃない。

 

これは始まり。

 

「自分の限界は自分が決めること。他人が決めることではない。自分が真剣に頑張ってきたことよりも信頼できるものがあるか?」

 

彼の絶対に負けたくないという「執念」が強烈に伝わってくる。

 

 

みなさんは田臥勇太選手の言葉から何を感じますか?

 

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